デザインの力という幻想

「デザインの力」といった抽象的な表現に頼ることを避け、デザイナーが主体となり、具体的な貢献や成果を示すデザインの重要性について考えました。

2025/01/17 14:06

見た目を良くして

十数年も使われ続け、今も業界では一強で牽引してきた Saas のプロダクト。その UI デザインリニューアルという大きなプロジェクトが昨年から動き出しました。弊社はパートナーとして UI と機能改善の主監を担います。そのプロダクトの初期開発から事業展開、営業までを歴任されたクライアントの部長と MTG を重ねているのですが、どうもその方が話される「デザイン」を理解するのが難しく、私はいつも頭で変換しなければならない。

「今っぽい UI、見た目的に、雰囲気、パッと見て」という言葉が頻出します。恐らく部長は「見た目を良くすること」がデザインすることだと捉えているのだと思います。

この記事をご覧いただいている方がデザイナーであれば「見た目だけではないよね」と思っていただけるかもしませんが、一般的に「デザイン」とはこの部長の視点の方がマジョリティではないかと思います。SNS には時折、パッケージデザインの善し悪しやエレベーターのボタン、デザインの敗北などのネタが散見されますが、デザイナーから離れたこのような視点が時代とともにアップデートされるということはありません。むしろその視点と向き合うことがデザイナーという専門職の使命ではないかと考えています。

「◯◯の力」という力のなさ

タイトルにある「デザインの力」という言葉が気になり始めたのは、好きなアーティストの一人である坂本龍一氏の発言がきっかけです。「音楽の力というのは一番嫌いな言葉」というインタビュー記事がありました。(その内容は割愛します)

常に言葉は大切に扱いたい、という職業的な観点があったのかもしれませんが、見出しなどで多用される「デザインの力」はどういう意味を込めて使っているのだろうかと深く考えるようになりました。クリエイティブとは異なる商業デザインは、デザイナーのアウトプットが事業や組織の成長に寄与することが望まれますが、それは「デザイナーの力」であり、またそのデザイナーを支えた「組織の力」でもあります。デザインされたそのものに力が宿っているわけではなく、アウトカムに向かった人々の総力、というところに焦点が当てられるべきです。

こうして見ると「◯◯の力」はさまざまな場面で使われています。例えば「設計力」という言葉をとっても、設計の対象となるものの共通点や本質を見抜こうとする姿勢、専門性、論理的な思考、感性や直感も関与する能力を指します。それらは日々の試行錯誤で磨かれていくものですが「◯◯の力」という抽象的な表現で済ませてしまうと、まるで一朝一夕に習得できるかのような力のなさをもたらしてしまいます。

デザインを曖昧のままにしない

デザインはプロセスだと捉えられる人もいれば、視覚的に表現されるものだという理解も間違っていません。ここにデザインという意味の曖昧さがあります。曖昧だからこそ「デザインの力」というような抽象的な表現で済ませないようにしたいです。

プロジェクトでデザイナーがまず取り組むべきことは、関わる人とデザインの視点を揃えることです。そうしなければ、プロジェクトにおけるデザインの真価を発揮することが難しくなります。見た目だけに焦点を当てた「デザイン」は本当に解決すべき課題や目的を見落としてしまいます。ただし、それに気付けるのはまずデザイナーです。だからこそ、そのプロジェクトにおける「デザインとは何か」を伝え続ける必要があります。プロジェクトの数だけ、考え続ける必要があるのです。

視点が揃わないと感じたとき、私が考えることは「これからデザインが解決しようとしている課題と貢献は何か」、そして「なぜデザイナーはその選択が適切だと思うか」を伝えるようにしています。デザインは全員で取り組む、そういったカルチャーであったとしても、その道筋を最初に示せるのはデザイナーだけなのです。

変わるのはまわりだけ

ここ数年、デザインの民主化や共創の実現など、デザインのまわりにあるフレーズが飛び交っています。デザイン経営というのもあった気がします。そのたびにデザイナー職は多くの人に注目され、その意義が社会に広まることはとても喜ばしいことです。しかし一方で、それらの言葉が表面的に使われるだけで、本質が見落とされる懸念もあります。このバランスがいつも難しいと感じています。

「デザイン経営」において、多くの企業がデザイン部門を立ち上げたり、デザインを活用した新規事業の開発に乗り出しました。しかし、それが単なるトレンドとして扱われ「デザインを導入すること」が目的化してしまった事例も少なくありません。一部の企業では成功を収めた例もありますが、デザインの本質がないがしろにされると、結局は一過性の取り組みに終わってしまうのです。

デザインの対象はますます広がり、プロセス自体も進化していくでしょう。しかし、デザインの本質は変わりません。まわりが変わろうとも、デザイナーはいつでも視点を広げ、対話を通じて社会や組織とより深く関わっていくことのできる専門職です。デザインが単なるフレーズを通じてではなく、実質的な貢献ができる存在であることを、一つずつ証明していくことが常に求められています。

デザインに人の跡を残さない

これは商業デザイン全体の話ではなく、特にアプリケーションソフトウェアの分野に限定される話かもしれませんが、私は優れたデザインとは、どのデザイナーが手掛けても最終的に行き着く形は同じようになるべきだと考えています。特に「用の美」の考え方に啓発された経験から、優れたデザインには「誰がデザインしたか」といった人の跡が残らず、自然に使われ続けるものこそ理想だと思います。これが後に「デザインの正解はある」と思い至るのだが、それはまた別の機会に述べたいと思います。

ここで伝えたかったのは「デザインの力で何かをしてやろう」という恣意的な意図が感じられるデザインは、短命であることが多いということです。デザインの力を誇示するのではなく、目の前の課題解決のための実直さこそが、デザインに関わる人々に求められる本質的な役割ではないでしょうか。

Kazuki Yamashita
株式会社インパス インフォメーションアーキテクト、デザイナー
プロフィール